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2024.08.24

地元の銘石紹介~俳諧に関する碑

江戸時代、久々利や岩村、大垣の地域では盛んに学問を取り入れて文教振興に力を入れていました。

一方で多治見は下街道は通っていますが、山間の農村だったので学問や文芸が盛んではありませんでした。

そのため俳諧も盛んではなく、明治の後期になってやっと俳句を独立して学ぶ人が生まれて句会が催されるようになりました。

もともと多治見では俳句よりも「狂俳」と呼ばれる五七調の俳諧の方が広く行われており、特に高田地域では盛んだったと言われています。

ただ市内の順徳寺には、松尾芭蕉が高野山に参詣した時の句、

父母の 志起りに恋し 雉子の声

が書かれた句碑があり、そこには「文化十年(1813)」と書かれています。

このことからこの当時でも当地域には松尾芭蕉風の俳諧をたしなむ人たちがいたことが分かります。(多治見市史 通史編)

写真1枚目:順徳寺にある松尾芭蕉句碑
写真2枚目:平野公園にある芭蕉翁碑