岐阜県多治見市、土岐市、可児市、愛知県瀬戸市のお墓

お墓ブログ

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屋久島のお墓

先日、出張で鹿児島県の屋久島に行く機会がありました。 この度、ご縁をいただき、屋久島に記念碑を作成する依頼を受けまして、施工をしてくださる現地の石材店さんと現地調査をするために屋久島に渡りました。 屋久島に渡る前日は大寒波が到来した日で、鹿児島でも積雪がありましたが、やはり南の島だけあって屋久島は比較的暖かい気候でした。 それでも屋久島の最高峰である宮之浦岳は標高が1900mあり、山頂には雪が被っていました。 10時に現地に到着してレンタカーを借りて、実際に石を設置する場所を確認しました。 現地は施工するにも難しい場所ではなく、現地調査は午前中には終了しました。 石屋が2人で屋久島に上陸しましたので、やはり気になるのは屋久島の墓石がどのようなものかということです。 屋久島まで行ってわざわざお墓を見に行く人は少ないと思いますが、私たち石材店にとっては普段行かない場所の墓石事情はとても気になるものです。 現地では2か所墓地を見学させてもらいました。 まず最初に見て驚くことはお墓の大きさです。私たち多治見市のお墓と比べるととても立派なお墓が並んでいます。 こちらのお墓は鹿児島地方で見られるものと同じ形で、丘カロート式と呼ばれる石碑の土台の石が大きく、お骨を納めるスペースが広く取られているお墓です。 九州は当地域とは異なり、焼骨を拾い上げる量が多く、骨壺のサイズが大きいので、どうしても納骨のスペースが広く必要になります。 そして多くのお墓が色鮮やかに花を飾っていることにも驚きました。 鹿児島地域は昔からお墓参りが盛んで、生花の売上がとても多い地域です。 屋久島も同じで皆さん熱心にお墓参りをされていることがよく分かります。たまたまお墓参りをされているお婆様ともお話をしましたが、毎週お墓参りをされているとのことで、やはりお墓を大切にされているんだなと感じました。 ただ、屋久島においても私たちと同様にお墓の維持が難しくなっているそうです。 屋久島でもお墓じまいが進んでいるようで、墓地の中にはいくつか石碑が無くなっている空き区画がありました。 先ほどのお婆様もお墓の面倒を見る人がいないので親戚のお墓など1人で5件のお墓の維持をしているとのことでした。 「残された自分の義務として行っている」と仰って、とても頭が下がる思いですが、一方でお墓を維持することの大変さを実感するお言葉でもありました。 先ほどお供えの花の鮮やかさについて述べましたが、お花をよく見ると造花も多く、そのお花を見るだけではどれだけの頻度でお参りされているかはわからないなと思いました。 お墓の見学をした後、同じ集落内の寺院を見学しましたが、こちらの寺院も現在は住職がおらず、無住寺院となっています。 時代の流れとともにお墓を維持することが大変になっていますが、ご先祖を供養する寺院も同じ状況にあることを実感しました。 私たちの地域でも状況は似ていると思います。これからの時代にお墓や先祖の供養を維持することは大変難しいことと思います。 ただ自分の両親や祖父母、その前の先祖を供養することはとても大切なことで、それが回り回って自分自身の幸せに結びつきます。 ご先祖の供養の大切さを伝え、お手伝いする立場としてこれからの時代に適した先祖供養の形を提案することの大切さと実感した時間となりました。

お墓じまい工事ー多治見市

多治見市の墓地にてお墓じまい工事を行いました。 今回のご依頼は行政書士の方からのものでした。 委任者が亡くなった後に必要となる葬儀の手配、各種行政手続きや公共料金の清算などの様々な事務(死後事務)を、信頼できる人(受任者)に生前から依頼しておくことができる死後事務委任契約というものがあります。 これを利用することで自分の遺骨をどこにどのように納めるのかをあらかじめ決めることができます。 自身の死後の希望を実現させ、残された人への負担を減らす「終活」の一環としても利用されます。 独身で身寄りがいない方や親族と疎遠な方、自分の最期の希望を確実に実現させたい方は検討してみてはいかがでしょうか。

お墓に黒い石を使うのは良くない?

お墓づくりを検討されている方の中には「お墓に黒い石を使うのは良くない」という話を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。 しかしこの話には根拠がなく、現在では黒い石も多く使用されています。 多治見市周辺では古くから白やグレー系の石が多く使われてきたため、そのような話が出てきたと思われます。 よく磨かれた黒御影石の表面には光沢があり高級感が出ますし、洋風墓石との相性が特に良いです。 また白御影石と比べても耐久性が高く経年劣化に強いものが多いのも特徴です。 縁起が良い悪いということにとらわれすぎず、供養の心を一番大事にして検討するのが良いお墓づくりだと思います。

地元の銘石紹介-千手観音菩薩

多治見市平和町の土岐川の堤防に石製の千手観音様が立っています。 昔、嵐の次の日に観音様が倒れていると、か弥さんは小学生3人と一緒に観音様を起こしてあげました。 か弥さんは小学生に100円ずつお駄賃をあげようとしますが、300円あったはずのお金が200円しかありませんでした。 100円を探しているとなんと26500円が入った財布が落ちていました。 か弥さんは警察に届けましたが持ち主が見当たらず、お金はか弥さんのものになりました。 しかしか弥さんはお金を受け取らず、更に自分の1000円を足して観音様の修繕に使うように区に託しました。 それを聞いた区民は感激して、こぞって寄付をしてたちまち13万円が集まりました。 そのお金で再建されたのが現在のお堂になります。この徳を褒めたたえ、後世に伝えるために観音様の横に頌徳碑が建てられています。 観音様には花やお供えがあり、現在でも大切にされていることが分かります。 所在地:国長橋横の堤防 住所:多治見市平和町

お墓の石が勝手に動く?

お墓の石がズレている、動いているというお問い合わせをいただくことがあります。 重たい石が勝手に動くのはおかしいし前にお参りした時は何もなかったので誰かのいたずらかもしれない、と思われるかもしれませんがこの現象には理由があります。 石と石の間にあるわずかな隙間に水が入り込むと気温の低下に伴い凍ってしまいます。 このとき体積が膨張することで石を持ち上げたり、押し出したりするため石が勝手に動いたように見えるのです。 気温がぐっと下がる今の時期に発生しやすく、年始やお彼岸にお参りに行ったときに気が付くということがよくあります。 新しいお墓には芯棒が入っているため大きくはズレないですが、古いお墓の場合は石が乗っているだけのことも多く、目地の経年劣化で隙間もできやすいので注意が必要です。 水が入り込む隙間を無くす(小さくする)ことが大事で、ズレを直した後コーキングで目地詰めをすることで予防します。 お気づきの際はご相談ください。

お墓じまい工事ー多治見市

この度、多治見市元町の墓地でお墓じまい工事を行いました。 お客様は以前弊社でお墓を建立してくださった方で、あとを見る人がおらず、お墓を維持することが困難になったためお墓じまいをされました。 お墓じまいをするにあたり、お客様とは何度もお会いしてお話をさせていただきました。 いろいろなお話をさせていただく中で、お客様がお墓じまいをすることに対して、とても寂しく思われていることが印象的でした。 お墓は亡くなられた方のためのものでもあり、生きている人の「心の拠り所」でもあります。   近年お墓じまいの仕事が増加していますが、お客様にとっては大きな決断で、とても大切なものを扱う仕事をさせていただいていると改めて確認させていただきました。

新規墓石建立ー多治見市

昨年末に多治見市の脇之島町の墓地で新規の墓石の建立工事を行いました。 お客様は普段仲良くさせていただいているお寺様よりご紹介いただきました。 もともと脇之島町に墓地を所有されており、この度は法事に合わせて墓石を建立されました。 お墓を建立するに際して、お墓の向きの関係で、新しく階段を作ることで入口を作り直しました。 石碑の立つ場所や向きによって導線が変わりますので、入口をどのようにするかはとても大切なことです。 今回建立させていただいたお墓はインドの石を利用しています。 弊社の展示場を見られて、お客様が気に入ってこの石になりました。 とても硬くて丈夫で、さらに高級感のある人気の石です。 今はお墓を作らない選択をされる方もいる中で、墓石を建立してしっかりとご供養される方には本当に頭が下がります。 この度はこのようなご縁をいただきとても感謝をしています。

新規墓石建立ー多治見市

多治見市内の墓地にてお墓の建立工事を行いました。 通常新規でお墓を建てる場合には期間が2~3か月必要となります。 これは石の仕入れや加工・彫刻、現場での作業などが必要なためです。 そのため新規でお墓を建てる場合は1周忌を目安に進められる方が多いです。 一方でできるだけ早く納骨したいというご要望をいただく事もあります。 四十九日法要に合わせる場合などは展示品・在庫品などを使用していただく事で工期を短くすることができます。 形ができあがっているためデザインや石種は変更できませんが、1か月ほどでも対応が可能となります。 ご要望にはできるだけお応えさせていただきますのでまずは何でもお気軽にご相談ください。

偉人有名人のお墓紹介-森蘭丸

森蘭丸は本名を森成利(なりとし)と言い、織田信長の側近として仕えました。 信長から絶大な信頼を受けていた蘭丸は1581年には近江国内の500石、1582年には美濃国の岩村5万国を与えられました。 しかし、1582年の本能寺の変で信長と共に18歳と言う若さで亡くなりました。 信長は自慢できるものとして「第一に白斑の鷹、第二に青の鳥、そして第三に蘭丸」と言うほど蘭丸を寵愛していました。 そんな蘭丸の気遣いができるエピソードとしてこのようなものがあります。 信長が自分の爪を切り終わると、蘭丸に捨てるように命じました。蘭丸はその爪を捨てましたが、爪の数が9つしかないことに気が付くと、戻って残りの爪を探したのです。当時、爪は呪いなどに使われることがあり、蘭丸はそれを心配していたと言われます。 蘭丸のお墓は可児市兼山の可成寺(かじょうじ)にあります。当寺院は森家の菩提寺であり、蘭丸のお墓は1967年に八百津町中野より現在の地に移されました。 所在地:可成寺 住 所:可児市兼山596