岐阜県多治見市、土岐市、可児市、愛知県瀬戸市のお墓

お墓ブログ

お墓についてのお悩み解決します!

アクアリウムに使用する石材の切削加工

先日石玉石材のホームページをご覧になったお客様よりお問い合わせがありました。 アクアリウムに使う石を切ってほしいというもので、縦横が30㎝程度、厚みが10㎝強ほどのものでした。 水槽に立つようにしたいとのご希望でした。 真四角の石と違い表面に凹凸があるため固定するのが難しかったですが、欠けることもなくうまく切断できました。 引き取りに来られた際大変満足していただけたようで良かったです。 珍しいご依頼でしたが、石玉石材ではこうした石材の加工も可能です。 ご相談だけでも構いませんので何かありましたらお問い合わせください。 (加工前の写真を撮り忘れてしましました…)  

東日本大震災の教訓を後世へ

3月18日㈪に八戸市多賀多目的運動場で銘肝式が行われました。 式典は東日本大震災の教訓を忘れず、後世に伝えていくことの大切さを地域と連携しながら学ぼうと、2017年から開かれており今回が3回目でした。 地元の町内会や市川中学校の生徒らおよそ60人が参加し、震災の犠牲者に黙とうを捧げました。 運動場内に設置された津波記憶石は2016年に石玉石材が石材の制作・文字彫刻をしたものです。 式典には石玉石材からも社長がブロンズ像製作者の神戸峰男先生とともに参加しました。 当時の想いを語り継ぐ貴重な機会が今後もずっと続いていくことを願います。

地元の銘石紹介~佐倉惣五郎(宗吾)

多治見市脇之島町と土岐市妻木町には佐倉惣五郎(宗吾)を祀る御堂や石碑が建っています。 佐倉惣五郎は江戸時代の下総国佐倉藩の領民と言われています。領主の重税に苦しむ農民の為に将軍に直訴し、その結果領民は救われましたが、彼自身は死罪となりました。 惣五郎が実在したかはっきりとしませんが、実録本や歌舞伎で描かれ、広く知られるようになりました。 全国には彼を祀る祠や神社が多く造営されました。 多治見市脇之島町にある宗吾神社は明治時代に建てられました。 その当時、脇之島の人々は多治見町長や池田村長が推し進めた土岐川改修工事に反対し、その争いの勝利を祈念して、百姓一揆の指導者である佐倉惣五郎を脇之島の地に祀ったと言われています。この地では今でも命日の9月2日にお祭りが行われています。

新規墓石建立工事ー多治見市高田町

多治見市高田町でお墓の建立工事を行いました。 お客様はもともと墓地を持っておられ実家のご両親のお墓がありました。 今回は自分たち夫婦が入れるお墓を、とのことでした。 隣に建っているご両親のお墓と同じ形にすることも検討しましたが、「そんなに大きなお墓でなくてもいいよ」ということでシンプルな洋型の石碑をご提案させていただきました。 できあがったお墓に納骨を済ませるとお客様からは「ホッとした」と何度もおっしゃっていただきました。 お墓は故人のためのものであると同時に残されたご家族のためのものでもあり、お墓の前で手を合わせるだけで心が楽になります。 お墓を建てることに対しての不安やわからないことは何でもご相談ください。

お客様感謝フェア実施中です

石玉石材も加盟している全優石(全国優良石材店の会)が毎年実施しているお客様感謝フェアが実施中です。 5月末までに新規で墓石のご成約を頂いた方の中から抽選で10万円ギフト旅行券などが当たります。(要申込) 毎年多くのお客様にお申込みいただいており今年で37回目となります。 お盆や秋のお彼岸に向けて建墓をお考えの方はこの期間でのお申し込みがお得です。 また、同じ5月末までの期間中「想いを込めたお墓づくりコンテスト」を実施しています。 全優石では30年前から、想いを込めた心温まる素敵なお墓づくりがあることをより多くの人に知ってもらおうと、想いを込めて建てられたお墓の写真とエピソードを、日本全国から公募し、審査の上発表しています。 これからお墓を建てられる方の参考となり、より心のこもった満足いくお墓づくりに役立てていただくためのものです。 詳細は石玉石材までお問い合わせください。

地元の銘石紹介~本土神社 宝篋印塔

多治見市小田町にある本土神社の境内には宝篋印塔が安置してあります。 もともとは上野町5丁目の御嶽神社にあったものがのちに現在の場所に移されたそうです。 宝篋印塔とはもともと宝筐院陀羅尼経というお経を納めたことからこの名前が付き、後にお墓(供養塔)として広く建てられるようになりました。 宝篋印塔は隅飾突起と言われる部分から建てられた年代を推測することができます。この宝篋印塔の隅飾突起は垂直に上がっているので室町時代初期に建てられたと考えられます。 この時代の石造物が現存しているのは貴重で、また基礎と呼ばれる部分に梵字が彫ってあるのはとても珍しいです。 本土神社の宝篋印塔は市指定の有形文化財に指定されています。

花筒彫刻いろいろ

お墓の花筒への彫刻は以前はハスや菊といった花柄が主流でしたが、最近はお墓のデザインも増え彫刻する絵柄も多様化しています。 花柄に限らず見本さえあれば大体のものは彫刻が可能で、もちろん文字でも大丈夫です。 なおネットでご覧になられた絵柄を持ってこられる方もいらっしゃいますが著作権等には十分ご注意ください。 今回は石玉石材で彫刻したデザインの一部をお見せします。 お墓を建てる際の参考にしてみてください。

偉人有名人のお墓紹介~歴代琉球国王

琉球王国の歴代国王である尚氏一族のお墓は「玉陵(たまうどぅん)」と呼ばれています。 お墓は中室・東室・西室の3つの部屋に分かれており、埋葬方法は沖縄県特有の方法が取られています。 遺体はまずお骨になるまで中室に置かれます。数年後にお骨を洗って(洗骨)骨壺に納めて、王と妃のお骨は東室に移され、他の王族のお骨は西室に納められます。 洗骨は沖縄県で見られた特有の風習で、琉球王国王室の洗骨は戦前までは行われていたと言います。 玉陵の様なお墓の形を「破風墓(はふばか)」と言いますが、破風墓を建てることは以前は王朝の一族のみ認められていました。しかし1879年に解禁されると、広く沖縄県内で建てられるようになりました。 所在地:那覇市首里金城町  

両家墓をご存知でしょうか

お墓というと「○○家之墓」と彫刻されたお墓をイメージされる方も多いと思いますが、最近はそうしたお墓ばかりではありません。 洋風のお墓が普及してきたことも大きいですが、家庭環境の変化もその一因かもしれません。 近年では核家族化が進み後継者がいないことを理由にお墓を建てない方がいらっしゃるようです。 そうした後継者のいない方々にも選ばれるのが両家墓というものです。 両家墓は文字通り2つの家族が1つのお墓に入るというものです。例えば自分たちの家族と奥さんの実家のご家族であったり、自分たちと娘さんの嫁ぎ先、あるいは甥っ子さん姪っ子さん家族であったりという感じです。 ○○家や家紋といったものを彫刻せずにメッセージ性のある言葉や絵柄を彫刻することで「苗字が違っても一緒のお墓に入っていいですよ」というお墓にすることができます(墓誌や花筒にそれぞれの姓や家紋を彫刻することはできます)。 娘しかいない、あるいは子供がいないという場合でもこのような方法でお墓を建てることはできます。 お墓の建て方に厳密なルールはありません。亡くなった方を偲ぶためにお墓が必要であれば建て方についてはアドバイスさせていただきますのでご相談ください。