木戸孝允は維新三傑の1人とされ、討幕・明治維新に尽力した人物です。
長州藩出身で薩長同盟の際には、藩の代表として、薩摩藩の西郷隆盛と対談しました。
また新政府に於いても「五箇条の御誓文」の制作など、中心的な役割を果たしました。
新選組が京都で長州・土佐藩士を襲撃した「池田屋事件」の際には直前まで現地に居ましたが、襲撃の前に外出をしたことで難を逃れたと言われています。
木戸孝允は西南戦争中の明治10年に亡くなりましたが、最後の言葉が「西郷、いい加減にしないか」だったと言います。政府に背いて反乱を起こした西郷隆盛を憂いての言葉でした。
木戸孝允のお墓は京都の霊山護国神社にあります。ここには討幕派の数多くの志士たちが祀られており、坂本龍馬や高杉晋作もこの地に眠っています。
また隣には、生前に何度も身を挺して孝允を守ったと言われる、妻・松子のお墓があります。
所在地:京都霊山護国神社
住 所:京都市東山区清閑寺霊山町