岐阜県多治見市、土岐市、可児市、愛知県瀬戸市のお墓

お墓ブログ

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偉人有名人のお墓紹介ー木戸孝允

木戸孝允は維新三傑の1人とされ、討幕・明治維新に尽力した人物です。 長州藩出身で薩長同盟の際には、藩の代表として、薩摩藩の西郷隆盛と対談しました。 また新政府に於いても「五箇条の御誓文」の制作など、中心的な役割を果たしました。 新選組が京都で長州・土佐藩士を襲撃した「池田屋事件」の際には直前まで現地に居ましたが、襲撃の前に外出をしたことで難を逃れたと言われています。 木戸孝允は西南戦争中の明治10年に亡くなりましたが、最後の言葉が「西郷、いい加減にしないか」だったと言います。政府に背いて反乱を起こした西郷隆盛を憂いての言葉でした。 木戸孝允のお墓は京都の霊山護国神社にあります。ここには討幕派の数多くの志士たちが祀られており、坂本龍馬や高杉晋作もこの地に眠っています。 また隣には、生前に何度も身を挺して孝允を守ったと言われる、妻・松子のお墓があります。 所在地:京都霊山護国神社 住 所:京都市東山区清閑寺霊山町

旗立て石交換工事

多治見市滝呂町にある観音堂の旗立て石の交換工事を行いました。 もともとあった石に車がぶつかって折れてしまったため取り換えさせていただきました。 前の石は平成5年に作られたものでしたが、現在は取り扱いが無いため見た目が大きく違わず費用も抑えられる石を選びました。 また車がぶつかるといけないので手前に別の石を設置しました。 役員の皆様にも喜んでいただけて良かったです。 石玉石材ではお墓以外にも様々な石工事を行っていますので石に関する依頼はお気軽にお申し付けください。

新規墓石建立ー多治見市笠原町

多治見市笠原町の墓地にて墓石の建立工事を行いました。 奥様のご実家のお墓を石玉石材で工事させていただいていたこと、またお寺様からのご紹介もあり今回のご縁をいただきました。 墓地が山中にあるため雑草対策を、との事でしたので通路部分はコンクリートを打ち、石碑周りは石貼りを行いました。 これで少しでもお参りが楽になればうれしいです。 お墓の前で手を合わせ亡き人を想う時間は他の何にも代えがたいものだと思います。 お墓を建てる以外にも様々な供養形態が出てきていますが、お墓にはお墓の良さがあると私たちは考えます。 是非お墓を建てることも選択肢に加えていただけたらと思います。  

新規墓石建立ー多治見市

多治見市の墓地で新規の墓石を建立しました。 お客様は昔から仲良くさせていただいている方で、亡くなったご主人のため、また多くあった墓石をまとめるためにこのたび新しく墓石を建立しました。 お客様とは石碑の形、石の種類、文字の彫刻内容を何度も打ち合わせをさせていただき、最終の形を決定しました。 お客様との会話で故人への想いや家族への想いがとても伝わり、私自身終始あたたかい気持ちでお墓づくりに携わらせていただきました。 この度は本当にありがとうございました。 ※以下はお客様のお墓づくりの感想です このたびはお世話になりました。 みすぼらしいお墓が思った以上に素晴らしいお墓になり、納骨した後は心が落ちつきほっといたしました。 近所の方からも「いいお墓ができたね」と言われました。 草取りもしなくてよく、お参りが楽になりましたので本当に有難く思っています。

遺骨取り出し時の注意点

お客様の中にはお墓じまいの際に遠方からお越しになるので一日で全て済むようにと、お墓の精抜き後ご自身で遺骨を取り出されることがありますが、このときいくつか注意が必要です。 ①お骨が全て取り出せない この地方は納骨の際にさらしの袋に入れたりしてお骨のみを納めるため、年数が経って袋が朽ちてくるとお骨をきれいに拾い上げることが難しくなります。 結果工事の際に改めて残ったお骨を取り出すという事になってしまいます。 ②骨壺が大きくて取り出せない 骨壺ごと納骨してある方でも昔のお墓の場合、入口が狭いことがあります。建立時に前もって納めてあると取り出すことは難しいです。 ③お骨が湿っている 納骨室の中は湿気がたまりやすく、持ち運びの際に入れ物が濡れたり、薄いと破れたりします。骨壺の場合は中に水が溜まっていることも多いです。 ご相談いただければ工事日を調整してすぐにお渡しできる状態にしたり、後日改めてお送りすることも可能です。 お見積り時に事前に確認することもできますのでご心配な方はご依頼ください。

お墓じまい工事ー土岐市鶴里町

土岐市鶴里町の墓地でお墓じまい工事を行いました。 お客様は関東にお住まいの方でしたが、当日の精抜きにも立ち会われました。 お墓にはお父様の遺骨が入っていましたが、こちらは関東の方で新たに建てたお墓に納められるそうです。 それ以外のご先祖様のお骨はお寺様へ永代供養されました。 お墓じまいと言っても永代供養に出すばかりではありません。 お墓を移転したり、建て替えるのもその一種で正式には改葬と言います。 供養の方法は近年多様化していますが、ご先祖様を大切に思う気持ちは変わっていないと感じます。 それぞれの方にとって何がベストの選択なのか石玉石材も一緒に考えてご提案していきたいと思います。

ゴールデンウィーク休業のお知らせ

有限会社 石玉石材では ゴールデンウィーク 5月3日(土)~5月6日(火) まで休業させていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。

偉人有名人のお墓紹介~竹中半兵衛

竹中半兵衛は豊臣秀吉に仕えて、戦略や戦術の補佐をする軍師として活躍しました。 半兵衛は36才と言う若さで亡くなりますが、姉川の合戦、小谷城の戦い、長篠の戦い、中国攻めなど数多くのいくさで功績をあげました。 彼の逸話で、黒田官兵衛の息子を救った話があります。 中国攻めの際に黒田官兵衛は毛利側へ寝返った荒木村重の説得へ行きます。 その際、官兵衛は荒木村重に監禁されてしまいます。 官兵衛が帰ってこないので、織田信長は官兵衛も裏切ったと思い、その子・松寿丸を殺すよう命令します。 竹中半兵衛は黒田官兵衛が裏切るはずが無いと思い、命令に背いて、隠れて松寿丸をかくまいます。 その後、黒田官兵衛は救出されて、裏切っていないことが判明しました。 その時すでに半兵衛は亡くなっていましたが、半兵衛が信長の命令に背いたことで松寿丸は救われました。 命をかけて同志・黒田官兵衛を信じぬく竹中半兵衛の強さを物語る逸話です。 半兵衛のお墓は菩提寺の禅幢寺にあり、一族と共に静かに眠っています。 所在地:禅幢寺 住 所:岐阜県不破郡垂井町岩手

手元供養のご紹介

納骨のタイミングに決まりはありませんが、お墓がすでにある場合は四十九日を、新たにお墓を建てる場合は1周忌を目安にされる方が多いです。 納骨時には基本的にすべての遺骨をお墓へ納めますが、遺骨は亡き人を身近に感じられるものとして一部を分骨されることもあります。 これが手元供養で分骨用の小さい容器に遺骨を納めご自宅で保管します。 中には遺骨を粉末状にしてアクセサリーや装飾品に加工することもあります。 兄弟がそれぞれ遠方に住んでいてなかなかお墓参りができないから、毎日手を合わせたいけど車が運転できないから、などご利用のきっかけは様々です。 手元供養は手軽で故人とのつながりを感じやすいですが、将来的に遺骨をどう管理するかをきちんと考えておく必要があります。 ご興味がございましたらお気軽にご相談ください。