岐阜県多治見市、土岐市、可児市、愛知県瀬戸市のお墓

お墓ブログ

お墓についてのお悩み解決します!

偉人有名人のお墓紹介ーパール博士顕彰碑

第二次世界大戦後の1946年に日本のA級戦犯を裁くために極東国際軍事裁判が行われました。いわゆる東京裁判です。 東京裁判では戦勝国側が原告となり、A級戦犯の25名が有罪、そのうち7名が死刑となりました。 東京裁判には戦勝国側を中心とした11名の判事が派遣されましたが、その中の1人がパール博士でした。 パール博士は11名の判事団の中で唯一「被告全員無罪」を主張しました。 A級戦犯の25名は「平和に対する罪」「人道に対する罪」に問われましたが、日本が戦争を始めた時点でそれらの罪は国際法上違法とはされていませんでした。 法律を作り、過去に遡って適用するのは法定主義の原則に反する というのがパール博士の主張でした。 パール博士は戦争中の日本軍の残虐行為を正当化した訳ではありません。 判事としての正義を守ることが彼にとって最も大切なことでした。 京都の護国神社にはインド独立50周年を記念して、平成9年に顕彰碑が建立されました。 所在地:京都霊山護国神社 住 所:京都市東山区清閑寺霊山町

お墓のメンテナンス

昨日秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」とされています。 お墓参りをされた方も多いのではないでしょうか? この時期はお墓参りをされた方からのお問い合わせが増えます。 例えば「花筒が壊れたから交換してほしい」、「玉砂利が少なくなっているから分けてほしい」といったものです。 他にもお墓のクリーニングや防草工事に関するお問い合わせなど様々なものがあります。 それだけたくさんの方がお墓、すなわちご先祖様を大切にされているという事だと思います。 石玉石材ではそうしたご供養のお手伝いができればと思っています。 気になったことがあればどんなことでもまずはご相談ください。

大阪・関西万博に使われている石材

先日、石材業界のメンバーで大阪・関西万博に行ってきました。 万博といっても私たちメンバーが見に行ったのは会場で使われている石材です。 実は今回の万博ではいろいろな場所で各地の石材が利用されています。 設計士がテーマを設けて作った建築物の中でその意匠や物語の中で石材が選ばれたり、石材を使ったイベントなどが行われたりしています。 そういう意味では今回の万博は私たちにとっても多く学ぶことありました。 また万博で使われている石材については、私の知り合いの業者さんや加入している組合も携わっており、このような世界的なイベントで仕事ができるのは本当にうらやましいです。 私もどんどん今までやっていなかったことに挑戦をして仕事の幅を広げていきたいと思いました。

新規墓石建立ー多治見市

多治見市内の墓地にて石碑建立工事を行いました。 今回は本社工場にあった展示品を使用していただきました。 展示品を使用するメリットとしては工期が短くなる、費用が抑えられるなどがあります。 通常はご契約後に石の加工を始めるため工事完了までは2~3か月かかりますが、展示品の場合は形が出来上がっているため彫刻だけ済ませると現場での設置工事が可能となります。 また以前より石の価格も上がっているため新しい石の場合費用も高くなってきますが、展示品の多くは価格が上がる前のものですので比較的安くご提供が可能です。 一方ですでに形が出来上がっているためデザインにこだわりたい方の場合気にったものがない事もあります。 お墓もいろいろな選択肢がありますのでまずはお気軽にご来店、ご相談いただければと思います。

地元の銘石紹介ー林雲鳳遺訓碑

林雲鳳(うんぽう)は多治見市笠原町出身の歴史画家です。 雲鳳の実家は製陶業を営んでおり、小学校卒業後は陶磁器の絵付け工房に入りながら、名古屋の森村宜稲(ぎとう)に師事して絵画を学んでいました。 1927年には上京をして松岡映丘(えいきゅう)に師事して、1930年には帝展に初入選をしました。 雲鳳は以来帝展と文展に数多く入選し活躍しました。 戦後は笠原町に戻って絵画を描き続ける傍ら、地域の文化振興に貢献しました。 その後は、勲五等瑞宝章、紺綬褒章を授かり、1981年には笠原町の名誉町民に選ばれました。 雲鳳は1989年に89才で亡くなりますが、地元の笠原町には雲鳳の遺徳を讃えるための記念碑が建てられています。 正面には 「古典の教養に立脚して 現代に生きよ」 という雲鳳の遺訓が刻まれています。 林雲鳳の孫は「今でしょ」で有名な林修氏です。  

お墓じまい工事ー多治見市地域墓地

多治見市内の墓地にてお墓じまい工事を行いました。 同じ墓地内に嫁ぎ先のお墓とご実家のお墓が隣接しており、今回はご実家の方のお墓を墓じまいされました。 お墓じまいのご相談の際に多いのが今回のような奥様のご実家のお墓の面倒を見る人がいないというものです。 嫁ぎ先のお墓を建直して二家族が一つのお墓に入るようにされるケースもあれば、ご実家のお墓を墓じまいしてお骨を永代供養に出されるケースもあります。 どちらの方法が良いという事はなく、ご家族の中でしっかりと話し合い後悔のないように結論を出されることが一番です。 悩み事やお困り事がございましたらお気軽に石玉石材へご相談ください。

偉人有名人のお墓紹介ー豊臣秀頼(首塚)

豊臣秀頼は秀吉と側室・淀君との間に生まれた子どもです。 秀吉の死後に豊臣家を継いだ秀頼でしたが、徳川家康は、2度にわたってその秀頼がいる大阪城を攻めました。 そして大阪城は攻め落とされ、秀頼は23歳の若さで自害をしました。 1980年に行われた大阪城三の丸跡の学術調査にて頭蓋骨が発見されました。 丁寧に埋葬されていたことや自害後の介錯(切腹後に首を刀で切る行為)の跡、副葬品などから秀頼のお骨であると断定されました。 その後お骨は秀頼が生前に再興に尽くしたと言われる、京都の清凉寺に改葬されました。 秀頼のお骨が改葬された場所には小豆島産の石碑が設置されています。大阪城の石垣でも利用されたのが小豆島の石でした。 秀頼の石碑の横には大阪の陣で亡くなった人々をお祀りする為の供養塔も建てられています。 所在地:嵯峨清凉寺 住 所:京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町

お墓の花筒について

現在新しいお墓の花筒には一般的にステンレス製のものが使用されています。 経年劣化に強く普段のお手入れが楽なのが特徴です。 一方昔建てたお墓の場合はお墓の石に直接お花を差し込んだり、合金製の花筒を使用しているタイプのものも多いです。 また地面に陶器やプラスチック製の花筒を差し込んで使っているケースもあります。 これらは破損する可能性があり、補修や交換のご依頼をいただくことがあります。 石玉石材では基本的にステンレス製の花筒をおすすめしていますが、状況に応じてご対応させていただいていますのでお使いの花筒が気になる場合はお気軽にご相談ください。

地元の銘石紹介-内津峠の馬頭観音

多治見市と春日井市の市境の内津峠に高さ147センチの大きな馬頭観音があります。 江戸時代から明治時代前期までは、馬の背の両側に荷物を積むのが一般的でしたが、明治20年頃より荷車や馬車が用いられるようになりました。 朝、陶器を積んで多治見を発ち内津峠の前の池田宿で後続の馬車と助け合い、2頭立てとなって峠を越えて夕方に名古屋に到着していました。 このように馬は重要な担い手で大切にされ、死ねば供養塔を作って祀られました。馬頭観音は牛馬に関係する従事者によって、その供養と無病息災、旅の安全を願い建てられました。 内津峠は中山道と名古屋城下を結ぶ下街道にある峠で、古くから下街道の難所とされてきました。 内津峠の馬頭観音は、輸送集団愛岐組が、安全を祈願して明治27年に建立しました。 所在地:内津峠 住 所:多治見市富士見町