岐阜県多治見市、土岐市、可児市、愛知県瀬戸市のお墓

お墓ブログ

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うるう年にお墓を建てるのは良くない?

2024年はうるう年です。 昔から「うるう年にお墓を建てるのは良くない」と言われることがあります。 うるう年にお墓を建てることには全く問題ないのですが、なぜそうしたことが言われるのでしょうか? これは江戸時代にさかのぼると理由がわかります。 当時日本では太陰暦が使用されており1年が354日しかありませんでした。 そのままでは暦と季節にズレが生じるため、約3年に1度調整のためにうるう月が設けられ、1年が13か月ありました。 この頃の武士の給料は年払いであり、1月多くなっても平年と同じ12か月分の給料で生活する必要がありました。 そのためお金のかかる家具の新調や仏壇・お墓の購入を控えるよう藩主に命じられたと言われています。 つまり「うるう年にお墓を建てるのは良くない」というのは、縁起が悪いわけではなく武士の家計を守るためのものだったのです。 物事にはそれぞれ理由や由来があります。 他にもいろいろと調べてみるのも面白いかもしれませんね。

偉人有名人のお墓紹介~徳川家康~

徳川家康は誰もが知っている歴史上の偉人ですが、そのお墓は静岡県の久能山東照宮にあります。 徳川家康は1605年に将軍職を息子の秀忠に譲ると、駿府城へ移り住み、その後1616年に亡くなりました。 遺言により遺骸は久能山に埋葬されました。亡くなる際には「久能山は駿府城の本丸と常に思召す」と言ったと伝えられています。 こちらのお墓は創建当初は木造でしたが、三代将軍家光により、石造宝塔に造り替えられました。 西向きにお墓が建てられていますが、西方には家康の生まれた岡崎があり、その先には京都があります。 一周忌が終わると、遺言により、日光へ分霊されましたが、その時に遺骸も改葬されたという説もあります。 所在地:静岡県静岡市 久能山東照宮

地元の銘石紹介~木曽源氏の里~

多治見市の古虎渓駅から山を上がっていくと「諏訪町」という人口100人程度の小さな集落があります。 この地域は元々、平安時代末期に木曽義仲の家臣・今井四郎兼平が粟津の戦いに敗れた後に一族と共に移り住んだのが始まりと言われています。 町内には「木曽源氏 今井四郎兼平 一族隠住の地」と刻まれた石碑が立っており、その横には小さな塚があります。 諏訪町は「今井」姓が多いのですが、その今井一族の祖と言われるのが今井四郎兼平です。 町内の諏訪神社では毎年「棒の手」が行われていますが、これは兼平がこの地の者に武術を伝授したのが芸能化して今日まで伝えられたとも言われています。 石碑の場所から更に坂を上ると宝篋印塔や石造物が多く並び、この集落の歴史の長さを感じさせます。 所在地:多治見市諏訪町

新規墓石建立ー瑞浪市明世町

瑞浪市明世町で墓石建立工事を行いました。 今回の工事は墓地検索サイトを通してのご依頼でした。 墓地検索サイトとは自分が希望する墓地の資料請求や見積り依頼、現地見学の予約などができるものです。 現在ではこうしたサイトが数多くあり、石玉石材も複数に登録しています。 複数の業者から資料が届くため色々と比較してみたい場合には便利です。 一方で紹介手数料などが発生するため割高になるケースもあります。 お墓づくりは初めてのことがほとんでわからないことだらけだと思います。 いきなり石材店に行くのは敷居が高いかもしれませんが、お墓のことはお墓のプロが一番詳しいです。 石玉石材ホームページの無料ご相談フォームからはいつでもお気軽にお問い合わせいただけますのでご活用ください。

お墓の移転工事ー瀬戸市

愛知県瀬戸市にあるお墓の移転工事を行いました。 移転は同じ町内でのものでしたが、地域墓地から寺院墓地(霊園)への移転です。 お墓を新たに建てたり、維持管理したりする上でお参りのしやすさというのは重要なポイントです。 つまり自宅からの距離が近かったり、草が生えないといった手のかからないお墓であることが重要視されています。 今回のような地域墓地からの移転であれば現在の墓地よりも設備や環境面が整っていてお参りがしやすくなることが期待できます。 また将来的にお墓じまいが必要になった場合でも寺院墓地であればお寺さんにスムーズに対応していただけるメリットがあります。 現在のお墓の維持管理にお悩みでしたらまずはお気軽にご相談ください。いろいろな方法をご提案させていただきます。

偉人有名人のお墓紹介~沢村栄治~

沢村栄治は日本のプロ野球史上に残る伝説の投手です。 史上2人目のシーズン防御率0点台や、史上初の投手5冠、史上初のノーヒットノーラン達成など輝かしい成績を残しました。 1934年に行われた日米野球でアメリカ選抜相手に8回1失点の好投をしたことはとても有名です。 実は沢村栄治がプロで活躍したのは5年間だけです。彼が活躍した時代は戦時中であり、沢村栄治自身も徴兵され、戦地に赴きました。 1944年12月2日、フィリピン防衛戦に向かうために乗っていた船がアメリカ軍潜水艦によって撃沈され、27歳の若さで亡くなりました。 沢村栄治のお墓は故郷である三重県伊勢市に建てられて、野球ボールの形をしています。表面にジャイアンツの「G」、裏面には背番号である「14」が刻まれています。 沢村家の墓所は2017年に親族によってお墓じまいをされました。しかし、この石碑だけ記念碑として現在も同墓地に残されています。 所在地:三重県伊勢市 一挙坊墓地

新規墓石建立ー達磨霊園

多治見市達磨霊園で墓石建立工事を行いました。 お母様の7回忌に向けて半年以上前からじっくりとご検討いただきながら進め先日法事・納骨となりました。 初めは白系の石でお見積りさせていただきましたが、見本や実際に建っているお墓を見ていただくうちに黒系の石で建てることになりました。 また墓地も広めのサイズだったため門柱をつけて安定感を出しました。 拝み場の石の組み合わせも何通りかご提案させていただき、ご相談の上最終のデザインに決まりました。 納骨時は生憎の雨でしたがスッキリとした見た目に仕上がったお墓にご満足いただけたようで良かったです。 お墓はお参りすることで故人と対話できたり、過去の自分の気持ちや考えに整理を付けたりとこれからの自分たちにとって特別な空間だと思います。 これからも想いのこもったお墓づくりをお手伝いしていきます。

地元の銘石紹介~修道院墓地 灯篭~

多治見市にある修道院内の墓地には珍しい灯篭があります。 こちらの灯篭、形は神社やお寺にある石灯篭と同じですが、よく見ると彫刻が全てキリスト教と関係のあるものになっています。 火袋の部分にはイエス・キリストを象徴するマークの「ラバルム」やイエス・キリストを表す「神の子羊」などが彫刻されており、中台の部分には「十字架」が彫られています。 また竿には神言修道会(Societas Verbi Divini)の頭文字である「S.V.D」の文字が彫刻されています。 この灯篭は以前の院長が建立したものと言われています。もともとは墓地の最奥の祭壇横に設置されていましたが、納骨堂が新設された際に現在の墓地入口に移転されました。 所在地:多治見市緑ケ丘38 多治見修道院内

本年も宜しくお願いいたします。

あけましておめでとうございます。 本日より営業を開始いたします。 本年もどうぞ石玉石材をよろしくお願いいたします。 写真は京都の北野天満宮です。 弊社がある多治見市大畑町の氏神である北野神社の総本社です。 正月にお詣りにいきました。